内科医ミーの日常日記です。男の子二人に振り回される日々。
※医療相談などは一切受け付けておりません。
緊急事態宣言が解除されました。こんにちは。
ここで短期間で再燃しないことを祈りつつ。
さても日記が正月までで止まっているわけですが(遠い目)。ここまでの怒涛の日々をかいつまんで。
1月は確かそこそこ平和に流れた気がします(すでに記憶がない…)。
2月。長男坊が進学塾に通い始めました。新5年生(4月からの学年の学習が2月にスタート)という遅めのスタート(だいたいは新3年生か新4年生にスタートする人が多いクラス)。
まずは学校行って、夕方から塾行って夜遅くまで勉強して帰宅。すぐ風呂入って寝て、翌朝学校の宿題。塾がない日は塾の宿題が山積み。
ということでそのリズムづくりが大変!それまでしていた習い事は残念ながら全部やめました。
1週終わり、2週終わり…そろそろペースがのってきたか…
てところで、私と長男坊が同時に激しい鼻炎とともに38℃の発熱。
世間で新型コロナウイルス感染症が話題になり始め、日本でもちらほら感染者の話が出始めたころです。
私は一晩で解熱しましたし、長男坊もこの時は1日でいったん解熱しましたので、下気道症状もなく倦怠感もなくて少なくもCOVID-19らしくはないよね~、と。
しかし昨年夏からしょっちゅう風邪をひいて発熱を繰り返していた長男坊が、またも熱を出し始めたのです。
1回目の発熱の数日後から再び37℃台の微熱が出ます。
学校や塾を休みます。
朝平熱で元気だったら登校させます。
また夕方ぐったりして37℃台後半の熱が出ます。
せっかく慣れてきた塾にも行けず、学校も週に2日は休む状態です。
そうこうしてるうちに地元でもCOVID-19の感染例が発生。風邪症状で学校を休む場合は欠席でなく出席停止になるとのお達しで、長男坊も1日は出席停止が適応されました。
そしてそのまま3月全国一斉休校です。
学校も休み。塾も休み。
なかなか微熱が去ってくれない長男坊にとってはある意味いいタイミングだったかもしれません。
2週間以上も微熱(37.5℃前後)と軽い倦怠感のみ。食欲旺盛。疲れやすいだけで基本は元気。これでCOVID-19ではなかろう、と思います。
体調がいい時は学童へ。倦怠感がひどかったり朝から熱があったりするときは、休ませます(次男坊は学童)。
3週間ほどになってくるとさすがにどうかと思いましたので、かかりつけの小児科に受診。
肺のレントゲンも異常なく、驚いたことに採血検査もすべて年齢相応の数値(炎症反応も陰性)。
こちとら専門分野が膠原病で不明熱も診ることが多いのですが、とにかく原因が皆目見当つきません。ベテランの小児科開業医の先生も首をひねります。
まあ、基本元気だし食欲もあるし、様子見、ですかね~、との結論。
一応メルクマニュアルとかに「感冒後微熱」という項目もありましたので、それかな~。あると聞いたことはあるけど、患者さんで診たことは…あったっけ?程度の珍しい現象です。
一応市販の漢方薬にその適応があるやつを検索で見つけたんですが、ネット通販以外で手に入りそうになかったので、購入は見合わせ。
その後1週間ちょっとで平熱になりました。
さてコロナ禍。自分の職場は感染症指定病院ではありませんし、特に周囲での発症は見聞きしませんでしたが、いつそういう患者さんが来院されてもおかしくありません。というか無症状の定期受診の患者さんだってウイルスを持っているのかもしれないのです。
そういう意味では緊張を強いられる日々。
子どもたちは春休みに申し込んでいた出張キッザニアが無期延期になってがっかり。
そんなこんなのうちに長男坊の塾は春期講習から再開。(学童は3月まででやめました)
次男坊は学童へ。
私は1か月超のお弁当作りでもへろへろになっておりました(相変わらず手際が悪いので、いつもより30分早く起床しないと二人分の弁当が作れません)。
4月。休校延長。緊急事態宣言。
当然の結果だとは思いましたが、「弁当作り…orz」となったのが正直なところ。
ただ学童も途中から「両親そろって医療従事・警察・消防などのご家庭以外は、利用を自粛してください」とのお知らせが。
うちは私は医療従事でも夫はそうではないので、次男坊は学童を休ませることに。
夫が子どもたちをそろって職場に連れて行って、個室で過ごすことになりました(職場の方との接近もなし)。次男坊はお兄ちゃんと一緒だし、なんか特別感を感じているパパの職場だし、ルンルンです。
で、そうなると子どもたちのお昼は私の弁当ではなく、夫にコンビニに連れていかれて買うようになりました。ええ、見事に毎日お菓子ばかり。買ってもおにぎり程度。
タンパク質と野菜を摂れ!
私の職場のほうは普段は健康な方を対象とする仕事をメインにしてますので、4月の下旬はいったん仕事を一斉延期。感染防止対策を徹底してGW明けから再開することになりました。
おかげでGWは年末年始並みのお休みが取れました。いつもの4月下旬の学会も延期されましたし(結局8月にweb開催になりました)。
4月の終わりには、子どもたちのB型肝炎ワクチンの3回目接種にも行きました。
休校措置の影響(集団生活がなくなると子どもがそもそも通常の風邪すらひかない)とCOVID-19感染警戒とで小児科開業医さんはガラガラ。
8歳になったばかりの次男坊は初めて泣かずに接種できました。
GWはひたすら骨休めと冬物衣料の洗濯(ここまではいつも通り)と、子どもたちの布マスクづくり。
マスクにはキャラクターものの布の残りだったり、子どもたちのサイズアウトした肌着だったりを使います。
少しでも性能を上げたくてHKマスクを作っているので、結構手間がかかります(ミシンがなくて手縫いなもので。手縫いのほうが布の色によって糸の色を変えるのが楽ではあります)。
何度か子どもたちを連れて散歩にも行きました。ただ、公園での遊具遊びを警戒して認めなかったため、「ただの散歩はつまんない」と特に長男坊が嫌がりまして。
本当に2~3回しか行けてません。子どもたちは激しい運動不足です…。
ビタミンD不足が心配なので、マイタケを使った料理をなるべく回数多くしています。
長男坊の塾は春期講習後、また休みになっていましたが、4月半ばからプリントとYouTubeでの授業動画配信で再開。
また、途中からZoomを利用したweb授業を週数回と、毎日プリントやYouTube動画でノルマたっぷり(ただし提出は週末のテストのみ)。
これ普通に学校があってるよりも勉強量が多くないかい?家で大人が監督できないご家庭は泥沼になりそうなんですが?
GW明けからは学校の宿題プリントもやってきて、ちょっと負荷が増えました。
学校の授業ベースのもので、算数や理科社会はいいんですよ、答えが明解なんで。
国語がですね、はっきりした正解がない方式。こたえプリントにも解答例すらなし。
授業だったら音読してからちょっと時間を取って子どもたちに考えさせ、数人に発表させて板書して、ノートに書かせて理解を促す、でやってた、そのままの内容のプリントです。
家庭でこの形式の学習をやらせようとすると大人の負担が半端ないんですが…。特に物語文の感情の読解が苦手な長男坊とか長男坊とか長男坊とか!
市が準備してネットで公開されているヒント動画も5分程度だし、参考にならなさそうで。
そして5月半ばにめでたく緊急事態宣言は解除される方向へ。
学校再開は分散登校ですか。まあ、しょうがないんですけど。
初日。次男坊だけ登校。二日目。長男坊だけ登校。二日とも給食なしで昼前下校。
学童は利用制限はなくなってるけど、この二日は児童が密集して弁当を食べることになるので、なるべく利用しないでほしいとのお達し。えーと。
翌週も最初は二人が別の日に登校。給食はありますが13時台に帰宅。
木曜、金曜は住所別に2分散登校、ということで我が家は二人そろって金曜に登校。
その次の週も2分散登校が続く…はずでしたが、いきなり全員登校になりました。本当にいきなりでびっくりでした。しかも全員登校最初の週はやはり給食後13時過ぎに帰宅。
いつから次男坊の学童の利用を再開しようかちょっと悩みどころです。
そして学習内容の取戻しのため、夏休みの短縮、授業1コマの時間を45分から35分に短縮して授業コマ数確保、土曜日も隔週授業、といろいろ大変。
給食も当分は担任が全部配膳するため、手間を減らすために主食は全部パン(どんぶりメニューでもパン。具はおかずとして食べるらしい)、おかわり不可。うちのお子さんたちにはこれがショック(長男坊はおかわり王)。
運動会中止や学習発表会中止はちょっと喜んでたうちの子どもたちですが、プール授業中止、遠足中止、自然教室中止にはキレてました。
「コロナウイルス、マジ消えろ!!」
うん、消えるといいね。
で、子どもたちはいつもと違う怒涛の日々も自分たちで楽しみを見つけ出して楽しく過ごしています。主にゲームやYouTubeで(いつもと変わらんがな)。
長男坊は塾の授業動画を流しっぱにすることを覚えました(閲覧履歴が残るので再生はしないといけないが、Zoom授業以外は画面の前にいるかまではチェックされないため)。
(とはいえ塾もそろそろ対面授業再開です)
毎日子連れ出勤している夫は気疲れでヘロヘロ。
毎日いつも通りに出勤して家事もして、私もヘロヘロ。
そして頑張って布マスクを作ったのに、子どもたちは学校に不織布マスクしかつけていきませんorz。
次男坊は子どもサイズなんで、まだちょっとずつしか確保できません(だいぶ出回ってきてますけどね)。長男坊は大人MサイズでOK。箱入りマスクをゲット。
皆様もいろいろ大変な折。体調にはくれぐれもお気を付けください。
ここで短期間で再燃しないことを祈りつつ。
さても日記が正月までで止まっているわけですが(遠い目)。ここまでの怒涛の日々をかいつまんで。
1月は確かそこそこ平和に流れた気がします(すでに記憶がない…)。
2月。長男坊が進学塾に通い始めました。新5年生(4月からの学年の学習が2月にスタート)という遅めのスタート(だいたいは新3年生か新4年生にスタートする人が多いクラス)。
まずは学校行って、夕方から塾行って夜遅くまで勉強して帰宅。すぐ風呂入って寝て、翌朝学校の宿題。塾がない日は塾の宿題が山積み。
ということでそのリズムづくりが大変!それまでしていた習い事は残念ながら全部やめました。
1週終わり、2週終わり…そろそろペースがのってきたか…
てところで、私と長男坊が同時に激しい鼻炎とともに38℃の発熱。
世間で新型コロナウイルス感染症が話題になり始め、日本でもちらほら感染者の話が出始めたころです。
私は一晩で解熱しましたし、長男坊もこの時は1日でいったん解熱しましたので、下気道症状もなく倦怠感もなくて少なくもCOVID-19らしくはないよね~、と。
しかし昨年夏からしょっちゅう風邪をひいて発熱を繰り返していた長男坊が、またも熱を出し始めたのです。
1回目の発熱の数日後から再び37℃台の微熱が出ます。
学校や塾を休みます。
朝平熱で元気だったら登校させます。
また夕方ぐったりして37℃台後半の熱が出ます。
せっかく慣れてきた塾にも行けず、学校も週に2日は休む状態です。
そうこうしてるうちに地元でもCOVID-19の感染例が発生。風邪症状で学校を休む場合は欠席でなく出席停止になるとのお達しで、長男坊も1日は出席停止が適応されました。
そしてそのまま3月全国一斉休校です。
学校も休み。塾も休み。
なかなか微熱が去ってくれない長男坊にとってはある意味いいタイミングだったかもしれません。
2週間以上も微熱(37.5℃前後)と軽い倦怠感のみ。食欲旺盛。疲れやすいだけで基本は元気。これでCOVID-19ではなかろう、と思います。
体調がいい時は学童へ。倦怠感がひどかったり朝から熱があったりするときは、休ませます(次男坊は学童)。
3週間ほどになってくるとさすがにどうかと思いましたので、かかりつけの小児科に受診。
肺のレントゲンも異常なく、驚いたことに採血検査もすべて年齢相応の数値(炎症反応も陰性)。
こちとら専門分野が膠原病で不明熱も診ることが多いのですが、とにかく原因が皆目見当つきません。ベテランの小児科開業医の先生も首をひねります。
まあ、基本元気だし食欲もあるし、様子見、ですかね~、との結論。
一応メルクマニュアルとかに「感冒後微熱」という項目もありましたので、それかな~。あると聞いたことはあるけど、患者さんで診たことは…あったっけ?程度の珍しい現象です。
一応市販の漢方薬にその適応があるやつを検索で見つけたんですが、ネット通販以外で手に入りそうになかったので、購入は見合わせ。
その後1週間ちょっとで平熱になりました。
さてコロナ禍。自分の職場は感染症指定病院ではありませんし、特に周囲での発症は見聞きしませんでしたが、いつそういう患者さんが来院されてもおかしくありません。というか無症状の定期受診の患者さんだってウイルスを持っているのかもしれないのです。
そういう意味では緊張を強いられる日々。
子どもたちは春休みに申し込んでいた出張キッザニアが無期延期になってがっかり。
そんなこんなのうちに長男坊の塾は春期講習から再開。(学童は3月まででやめました)
次男坊は学童へ。
私は1か月超のお弁当作りでもへろへろになっておりました(相変わらず手際が悪いので、いつもより30分早く起床しないと二人分の弁当が作れません)。
4月。休校延長。緊急事態宣言。
当然の結果だとは思いましたが、「弁当作り…orz」となったのが正直なところ。
ただ学童も途中から「両親そろって医療従事・警察・消防などのご家庭以外は、利用を自粛してください」とのお知らせが。
うちは私は医療従事でも夫はそうではないので、次男坊は学童を休ませることに。
夫が子どもたちをそろって職場に連れて行って、個室で過ごすことになりました(職場の方との接近もなし)。次男坊はお兄ちゃんと一緒だし、なんか特別感を感じているパパの職場だし、ルンルンです。
で、そうなると子どもたちのお昼は私の弁当ではなく、夫にコンビニに連れていかれて買うようになりました。ええ、見事に毎日お菓子ばかり。買ってもおにぎり程度。
タンパク質と野菜を摂れ!
私の職場のほうは普段は健康な方を対象とする仕事をメインにしてますので、4月の下旬はいったん仕事を一斉延期。感染防止対策を徹底してGW明けから再開することになりました。
おかげでGWは年末年始並みのお休みが取れました。いつもの4月下旬の学会も延期されましたし(結局8月にweb開催になりました)。
4月の終わりには、子どもたちのB型肝炎ワクチンの3回目接種にも行きました。
休校措置の影響(集団生活がなくなると子どもがそもそも通常の風邪すらひかない)とCOVID-19感染警戒とで小児科開業医さんはガラガラ。
8歳になったばかりの次男坊は初めて泣かずに接種できました。
GWはひたすら骨休めと冬物衣料の洗濯(ここまではいつも通り)と、子どもたちの布マスクづくり。
マスクにはキャラクターものの布の残りだったり、子どもたちのサイズアウトした肌着だったりを使います。
少しでも性能を上げたくてHKマスクを作っているので、結構手間がかかります(ミシンがなくて手縫いなもので。手縫いのほうが布の色によって糸の色を変えるのが楽ではあります)。
何度か子どもたちを連れて散歩にも行きました。ただ、公園での遊具遊びを警戒して認めなかったため、「ただの散歩はつまんない」と特に長男坊が嫌がりまして。
本当に2~3回しか行けてません。子どもたちは激しい運動不足です…。
ビタミンD不足が心配なので、マイタケを使った料理をなるべく回数多くしています。
長男坊の塾は春期講習後、また休みになっていましたが、4月半ばからプリントとYouTubeでの授業動画配信で再開。
また、途中からZoomを利用したweb授業を週数回と、毎日プリントやYouTube動画でノルマたっぷり(ただし提出は週末のテストのみ)。
これ普通に学校があってるよりも勉強量が多くないかい?家で大人が監督できないご家庭は泥沼になりそうなんですが?
GW明けからは学校の宿題プリントもやってきて、ちょっと負荷が増えました。
学校の授業ベースのもので、算数や理科社会はいいんですよ、答えが明解なんで。
国語がですね、はっきりした正解がない方式。こたえプリントにも解答例すらなし。
授業だったら音読してからちょっと時間を取って子どもたちに考えさせ、数人に発表させて板書して、ノートに書かせて理解を促す、でやってた、そのままの内容のプリントです。
家庭でこの形式の学習をやらせようとすると大人の負担が半端ないんですが…。特に物語文の感情の読解が苦手な長男坊とか長男坊とか長男坊とか!
市が準備してネットで公開されているヒント動画も5分程度だし、参考にならなさそうで。
そして5月半ばにめでたく緊急事態宣言は解除される方向へ。
学校再開は分散登校ですか。まあ、しょうがないんですけど。
初日。次男坊だけ登校。二日目。長男坊だけ登校。二日とも給食なしで昼前下校。
学童は利用制限はなくなってるけど、この二日は児童が密集して弁当を食べることになるので、なるべく利用しないでほしいとのお達し。えーと。
翌週も最初は二人が別の日に登校。給食はありますが13時台に帰宅。
木曜、金曜は住所別に2分散登校、ということで我が家は二人そろって金曜に登校。
その次の週も2分散登校が続く…はずでしたが、いきなり全員登校になりました。本当にいきなりでびっくりでした。しかも全員登校最初の週はやはり給食後13時過ぎに帰宅。
いつから次男坊の学童の利用を再開しようかちょっと悩みどころです。
そして学習内容の取戻しのため、夏休みの短縮、授業1コマの時間を45分から35分に短縮して授業コマ数確保、土曜日も隔週授業、といろいろ大変。
給食も当分は担任が全部配膳するため、手間を減らすために主食は全部パン(どんぶりメニューでもパン。具はおかずとして食べるらしい)、おかわり不可。うちのお子さんたちにはこれがショック(長男坊はおかわり王)。
運動会中止や学習発表会中止はちょっと喜んでたうちの子どもたちですが、プール授業中止、遠足中止、自然教室中止にはキレてました。
「コロナウイルス、マジ消えろ!!」
うん、消えるといいね。
で、子どもたちはいつもと違う怒涛の日々も自分たちで楽しみを見つけ出して楽しく過ごしています。主にゲームやYouTubeで(いつもと変わらんがな)。
長男坊は塾の授業動画を流しっぱにすることを覚えました(閲覧履歴が残るので再生はしないといけないが、Zoom授業以外は画面の前にいるかまではチェックされないため)。
(とはいえ塾もそろそろ対面授業再開です)
毎日子連れ出勤している夫は気疲れでヘロヘロ。
毎日いつも通りに出勤して家事もして、私もヘロヘロ。
そして頑張って布マスクを作ったのに、子どもたちは学校に不織布マスクしかつけていきませんorz。
次男坊は子どもサイズなんで、まだちょっとずつしか確保できません(だいぶ出回ってきてますけどね)。長男坊は大人MサイズでOK。箱入りマスクをゲット。
皆様もいろいろ大変な折。体調にはくれぐれもお気を付けください。
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前回の記事ははさみましたが、今回は時を戻して9月以降の出来事を。
9月に某専門医試験のために東京へ。実は1回失敗してて(^^;)、今回2回目の挑戦。
東京で開催だったのですが、折あしく台風が次々やってきます。
まずは九州に近づく台風。こちらはちょっとそれたので行き(試験前日・土曜日)の飛行機は難なく飛びました。
さて当日(日曜日)。今度は関東に台風が接近してきます。
実は翌月曜日は朝8時には職場に立っていないといけない仕事が入ってまして。
もしも日曜の夕方に飛行機が欠航して帰れないと、とても間に合わない状態。
一応職場の皆さんに「帰れなくなったらごめんなさい~」と言って、上司に万が一の場合のフォローをお願いして旅立ちました。
試験会場は有明のビッグサイト(の一角)。めっちゃだだっぴろいイベントスペースに簡易の長机とパイプ椅子が並べられた会場でした(ほかにも複数会場あり)。
しかし私の頭の中はとにかく「飛行機は無事に飛ぶのか?」一色。試験に全く集中できないままでした。(ので、どんな問題が出たかきれいさっぱり記憶がありません)
途中休憩のたびにスマホの電源を入れて台風情報と航空会社のサイトをチェックし、なんとかその日は九州方面は欠航はなさそうでした。
あとの問題はもしや試験時間の最後までいたら会場から出るのにめちゃくちゃ時間がかかるのでは?というものでした。
試験時間が終了し、全員の解答用紙と問題冊子を回収してから、会場後方から40人ほどずつ分けられたブロックごとに退場(エスカレーターの事故防止のため)。って外に出られるようになるまで30分以上かかりそう?
下手したら余裕をもって予約していた飛行機の便に間に合わないかもしれない、と思い、試験終了20分前に退席することにしました(終了15分前まで途中終了可)。
外に出ます。まだ雨も降っておらず、風もさほど強くありません。
タクシーでの移動を最初は考えてましたが、まだ天候は穏やかでも台風接近中の東京ではタクシーはつかまりません(スマホに配車アプリを入れておらず、電話もつながらない)。
てことでりんかい線からモノレール乗り換えで羽田到着。
無事に帰宅することができました。
(ちなみに11月末にきた試験結果は合格でした。二つ目の専門医資格です。更新が大変だ…)
9月末はカービィカフェHAKATAへ。
子どもたちが調子に乗って頼みすぎて、食べきれませんでした。
でもカービィ可愛い。
10月は前記事の通り、腰痛に悩まされた1か月。
途中で小学校の学習発表会に行きましたが、腰痛を押して立見席から頑張ってビデオ撮影しました。今年はよりによって二人とも最前列の真ん中付近だったので、中央ゴザ席(目の前6年生の壁)や、ゴザ席脇のパイプ椅子席の2列目以降からだと見えない場所だったのです(腰痛のため場所取り行列に並ぶのを出遅れた)。
腰痛に関しては発症の2週間後に整形外科の先生に診てもらいましたが、MRIまで撮って「神経に触るほどのヘルニアはなし(触らない程度の軽いのは自分で見てもわかる程度にありました/この程度のは結構な割合でみんな持ってます)」で、終了。鎮痛薬と骨盤ベルトだけ続行するようにとの指示。
最終的には1か月ちょっとかかって治まりました。こんなに長引いたのは初めてでした。
10月半ば。次男坊が微熱を出したと思ったら、頬が真っ赤に…。
え?今更の伝染性紅斑(りんご病)?(※幼児の病気)
見事に真っ赤になった頬とともに小児科受診。
院長先生に「これじゃあ園に行けないなあ」とからかわれると、「(小)学生です!」と力説する次男坊。小学生のプライドに触ったらしい。
(小児科の先生が気安いのは、我が家が病児保育などで常連だからです。念のため)
で、子どもの体調が回復した(しかし私の腰痛はまだ続いていた)週末に家族で温泉に行きました。
実は子どもたちが生まれてから初めての家族旅行。ルンルンする子どもたちは、各々のリュックいっぱいにお菓子を詰め込み、車中ではひたすらお菓子を食べていました…。
もちろん温泉だけでは子どもたちが退屈する恐れがありますので、フォレストアドベンチャーに寄ることにしました。森の中でロープをスライドしたりするアスレチック施設です。
もう4年生の長男坊は大人用のコースでもいいことにはなってましたが、初めてなので次男坊と一緒に子ども用のキャノピーコースに。
で、まだ腰痛が完治していない私も付き合う羽目に(大人二人子ども二人にするため)。
長男坊はもともとのキャラもあって、ひょいひょいと楽しそうに進んでいきます。
1年生の次男坊は怖がりさん。4つのコースを順に進んでいくのですが、最初のコースを終えた時点で泣き出してしまいました。「もう帰る~~~」となっていたのですが、パパとお兄ちゃんが2コース目をスタートして姿が見えなくなった途端に立ち直って、「やっぱり行く」。
そのあとは怖がりながらも楽しめていたようです。
温泉宿では男どもはひたすら持参したNintendo Switchで遊びまくり。
もちろん温泉にも入って満喫満喫。美味しいお食事も満喫満喫。
翌朝にももうひと風呂浴びて、朝ごはんも満喫満喫。
温泉郷の土産物店をめぐり、帰路につきます。
帰りは阿蘇方面に遠回りしてドライブ。途中、すでに紅葉が始まっていた九重を眺め(登山客の車が多すぎて停められず)。阿蘇大観峰で子どもたちは寒いのにソフトクリームを食べ(そして次男坊が食べきれず、私が震えながら食べる羽目に)。
高速のサービスエリアでご当地カービィのキーホルダーもゲット。
次男坊はよほど楽しかったらしく、「毎年行きたい!いや、年に2回行きたい!」と叫んでおりました。さすがに2回は無理…。
10月末と11月末には子どもたちにインフル予防接種。
実は今まで子どもたちにB型肝炎の予防接種もしてなかったので、今回はこれもお願いすることにしました(3回目は半年後)。一応もうそろそろ長男坊が思春期を迎えるころですし。
目玉の飛び出る金額(しかも二人分)にくらくらしました。
子どもたちいわく、「B型肝炎のほうは痛くないんだけど、インフルエンザのほうが痛いからいやだ」。
しかし残念ながら毎年打たないといけないのはインフルエンザのほうです。
12月は私がまず胃を傷め。続いてまたも腰を傷め。
いずれも数日で回復はしましたが、本当に寄る年波には勝てません。
子どもたちはと言いますと、夏から秋にかけてしょっちゅう体調を崩していた長男坊も、前年クリスマスイブにインフルエンザにり患していた次男坊も、今回は元気に年末年始を乗り切りました。
9月に某専門医試験のために東京へ。実は1回失敗してて(^^;)、今回2回目の挑戦。
東京で開催だったのですが、折あしく台風が次々やってきます。
まずは九州に近づく台風。こちらはちょっとそれたので行き(試験前日・土曜日)の飛行機は難なく飛びました。
さて当日(日曜日)。今度は関東に台風が接近してきます。
実は翌月曜日は朝8時には職場に立っていないといけない仕事が入ってまして。
もしも日曜の夕方に飛行機が欠航して帰れないと、とても間に合わない状態。
一応職場の皆さんに「帰れなくなったらごめんなさい~」と言って、上司に万が一の場合のフォローをお願いして旅立ちました。
試験会場は有明のビッグサイト(の一角)。めっちゃだだっぴろいイベントスペースに簡易の長机とパイプ椅子が並べられた会場でした(ほかにも複数会場あり)。
しかし私の頭の中はとにかく「飛行機は無事に飛ぶのか?」一色。試験に全く集中できないままでした。(ので、どんな問題が出たかきれいさっぱり記憶がありません)
途中休憩のたびにスマホの電源を入れて台風情報と航空会社のサイトをチェックし、なんとかその日は九州方面は欠航はなさそうでした。
あとの問題はもしや試験時間の最後までいたら会場から出るのにめちゃくちゃ時間がかかるのでは?というものでした。
試験時間が終了し、全員の解答用紙と問題冊子を回収してから、会場後方から40人ほどずつ分けられたブロックごとに退場(エスカレーターの事故防止のため)。って外に出られるようになるまで30分以上かかりそう?
下手したら余裕をもって予約していた飛行機の便に間に合わないかもしれない、と思い、試験終了20分前に退席することにしました(終了15分前まで途中終了可)。
外に出ます。まだ雨も降っておらず、風もさほど強くありません。
タクシーでの移動を最初は考えてましたが、まだ天候は穏やかでも台風接近中の東京ではタクシーはつかまりません(スマホに配車アプリを入れておらず、電話もつながらない)。
てことでりんかい線からモノレール乗り換えで羽田到着。
無事に帰宅することができました。
(ちなみに11月末にきた試験結果は合格でした。二つ目の専門医資格です。更新が大変だ…)
9月末はカービィカフェHAKATAへ。
子どもたちが調子に乗って頼みすぎて、食べきれませんでした。
でもカービィ可愛い。
10月は前記事の通り、腰痛に悩まされた1か月。
途中で小学校の学習発表会に行きましたが、腰痛を押して立見席から頑張ってビデオ撮影しました。今年はよりによって二人とも最前列の真ん中付近だったので、中央ゴザ席(目の前6年生の壁)や、ゴザ席脇のパイプ椅子席の2列目以降からだと見えない場所だったのです(腰痛のため場所取り行列に並ぶのを出遅れた)。
腰痛に関しては発症の2週間後に整形外科の先生に診てもらいましたが、MRIまで撮って「神経に触るほどのヘルニアはなし(触らない程度の軽いのは自分で見てもわかる程度にありました/この程度のは結構な割合でみんな持ってます)」で、終了。鎮痛薬と骨盤ベルトだけ続行するようにとの指示。
最終的には1か月ちょっとかかって治まりました。こんなに長引いたのは初めてでした。
10月半ば。次男坊が微熱を出したと思ったら、頬が真っ赤に…。
え?今更の伝染性紅斑(りんご病)?(※幼児の病気)
見事に真っ赤になった頬とともに小児科受診。
院長先生に「これじゃあ園に行けないなあ」とからかわれると、「(小)学生です!」と力説する次男坊。小学生のプライドに触ったらしい。
(小児科の先生が気安いのは、我が家が病児保育などで常連だからです。念のため)
で、子どもの体調が回復した(しかし私の腰痛はまだ続いていた)週末に家族で温泉に行きました。
実は子どもたちが生まれてから初めての家族旅行。ルンルンする子どもたちは、各々のリュックいっぱいにお菓子を詰め込み、車中ではひたすらお菓子を食べていました…。
もちろん温泉だけでは子どもたちが退屈する恐れがありますので、フォレストアドベンチャーに寄ることにしました。森の中でロープをスライドしたりするアスレチック施設です。
もう4年生の長男坊は大人用のコースでもいいことにはなってましたが、初めてなので次男坊と一緒に子ども用のキャノピーコースに。
で、まだ腰痛が完治していない私も付き合う羽目に(大人二人子ども二人にするため)。
長男坊はもともとのキャラもあって、ひょいひょいと楽しそうに進んでいきます。
1年生の次男坊は怖がりさん。4つのコースを順に進んでいくのですが、最初のコースを終えた時点で泣き出してしまいました。「もう帰る~~~」となっていたのですが、パパとお兄ちゃんが2コース目をスタートして姿が見えなくなった途端に立ち直って、「やっぱり行く」。
そのあとは怖がりながらも楽しめていたようです。
温泉宿では男どもはひたすら持参したNintendo Switchで遊びまくり。
もちろん温泉にも入って満喫満喫。美味しいお食事も満喫満喫。
翌朝にももうひと風呂浴びて、朝ごはんも満喫満喫。
温泉郷の土産物店をめぐり、帰路につきます。
帰りは阿蘇方面に遠回りしてドライブ。途中、すでに紅葉が始まっていた九重を眺め(登山客の車が多すぎて停められず)。阿蘇大観峰で子どもたちは寒いのにソフトクリームを食べ(そして次男坊が食べきれず、私が震えながら食べる羽目に)。
高速のサービスエリアでご当地カービィのキーホルダーもゲット。
次男坊はよほど楽しかったらしく、「毎年行きたい!いや、年に2回行きたい!」と叫んでおりました。さすがに2回は無理…。
10月末と11月末には子どもたちにインフル予防接種。
実は今まで子どもたちにB型肝炎の予防接種もしてなかったので、今回はこれもお願いすることにしました(3回目は半年後)。一応もうそろそろ長男坊が思春期を迎えるころですし。
目玉の飛び出る金額(しかも二人分)にくらくらしました。
子どもたちいわく、「B型肝炎のほうは痛くないんだけど、インフルエンザのほうが痛いからいやだ」。
しかし残念ながら毎年打たないといけないのはインフルエンザのほうです。
12月は私がまず胃を傷め。続いてまたも腰を傷め。
いずれも数日で回復はしましたが、本当に寄る年波には勝てません。
子どもたちはと言いますと、夏から秋にかけてしょっちゅう体調を崩していた長男坊も、前年クリスマスイブにインフルエンザにり患していた次男坊も、今回は元気に年末年始を乗り切りました。
前回がGWに入るところまで…。
GWは、あいかわらずののんびり休み…だったような。
いつものことですが、すでに記憶がすっ飛んでます。
で、とにかく仕事で忙しかった5月(なぜ毎年5月…)。
いまカレンダーを確認してみたらこのあたりから次男坊がスイミングスクールに行きはじめました。
長男坊の時はヘルパー(腕輪タイプの浮き輪)がいらない級からスタートでしたが、次男坊はヘルパー使用の級からスタート。
あらら、子どもたちだけでバスで行かせるつもりだったのに、私が送迎しなくちゃいけなくなりしたよorz。土曜か日曜だ~。駐車場狭いから嫌いなのに~。
(ヘルパーを膨らませたままだとバッグに入らないので、別の袋に入れて持たせる→忘れ物の危険性が高まるということで、私が送迎して管理しないといけませぬ。つぶして持ち運んで更衣室で子どもたちだけで膨らませて、終わったらつぶして、はバスの時間の都合でできませんし)
5月下旬は次男坊にとっては小学校で初の運動会。
おお、珍しく次男坊の気合が入っている。長男坊はいつもどおりに熱い男ですが。
が。当日はとにかく暑い酷暑。そうだよね~。
てことで短縮プログラムで実施されることになりました。
当日(土曜)は各学年かけっこ(6年生だけリレー)と、踊り(6年生はこのご時世にいまだに組体操)などの出し物だけ。
他の競争遊戯(玉入れなど)は後日予備日(翌週水曜日)に学年ごとに体育の授業で実施。
振替すらもなくなったのは保護者も一緒に踊る地元の地名を付けた音頭と、地域の年長さん(来年入学予定)のパレード。
それでもマンモス校ですので、競技時間が長く、途中昼休みを挟んで13時に終了予定。
…昼休みなしで12時終了でよくない?
まあ長時間空腹で過ごさせるのも熱中症の危険が高まるからと言う難しいさじ加減なんでしょうけども。
弁当作りが苦痛な家庭(例:我が家)は「弁当作らなくちゃなの~?」、外注してる家庭は「時間変更しないと~(焦)」となったのではと推測。
ともあれ、当日は長男坊のブロックが1位、次男坊のブロックが3位で終了。
後日の競争遊戯に決着が持ち越されました。
予備日はもちろん平日だし、うちは見学には行きませんでしたが、最終的には次男坊のブロックが逆転勝利を収めたそうです。
6月。私の車が新しくなったことと、仕事が忙しかったこと、それしか記憶がありません。
7月。授業参観。恒例のお母さんたちの懇親昼食会(3年生以上はやらないクラスがほとんどなので次男坊のクラスのみ)。
これがクラスのPTAの学年委員さんが計画してお知らせを作り、担任の先生にお願いして配布と出欠票の回収をしてもらって、というもの。
今年は学校から「教員の働き方改革のため、教員が手伝うのは今回が最後です。本年度の2学期以降、来年度以降も、教員はお手伝いしません」というような内容のお知らせが配布されました。
そらそうだよね。
個人情報保護の関係で、クラスの名簿や連絡網を勝手に作るのも禁止されてますし、今後はこういう企画はできませんよねー。
ということは、来年以降に学年委員を引き受けても懇親会の企画はやらなくていいんだわ、と個人的には喜んでたり。
やりたい人たちだけでLINEとかの連絡先交換して少人数でやればいいんですよ。
夏休み突入。子どもたちはそれでも行く先は学校の学童が大半なので、あまり変わらぬ日常。
次男坊は真面目にものすごい勢いで夏休みの宿題を済ませるのですが、長男坊が後からスパートでも終わると高をくくってるせいか、ゆっくりとしか進みません。長男坊も1年生の時は次男坊みたいに数日で終わらせてたんですけどね~。
ところで、1年生の宿題が3年前より大幅に減量されてました。というか、提出義務のあるものが減ってました。
提出義務があるものがワーク+プリントと、絵日記2日分と、朝顔の観察(と種回収)。
提出義務がなくなったものが、毎日1行日記と、運動記録、読書記録、作品展出品作(読書感想文とか感想画とかその他もろもろどれか好きなもの)。
共働きが増えたことでの保護者の負担軽減もさることながら、たぶんそれをとりまとめる先生の負担軽減も大きいのでしょうね。
夏休み初日に長男坊は風邪気味の中、合気道の昇給審査へ。
微熱がありそうでしたが、うまくこなして合格してました。
さらに7月の終わりにも長男坊が風邪。ちょっと喘息発作みたいな呼吸をしてて苦しそうでした。
ともあれ小児科の処方で治まり。
次男坊は少し調子を崩した程度で、受診する必要もなく元気に。
8月。帰省した姉一家と一緒にお食事。
いつもの釣りができるお店で釣りまくり。もう慣れきってますもので。
翌日の中華料理やさんは個室だったので、子どもたちは任天堂スイッチで遊びまくり。
お誕生日3日違いの姉とこ次男くんとうちの次男坊が気が合いまくって、まるで二卵性の双子みたいな状態になってました。
翌週は学習塾主催の合宿へ。今年は初めて次男坊も参加。二人してうきうきして準備していたのですが…。
初日に台風が合宿の行先に直撃Σ(-△-)。
2泊3日の予定が、出発を1日遅らせての1泊2日に変更になりました。しかも学童も台風のために休会になったので、職場が休みになった夫と過ごしてもらいました。
合宿は楽しみにしていた釣り体験がなくなってしまいましたが、何はともあれうきうきルンルンと出発した子どもたち。
大人はいつものごとく、旅行社のサイトで子どもたちの写真を確認しました。
…長男坊はいつもどおりに楽しそうに写ってますが、近くに次男坊の姿がありません。
集合写真でも長男坊から離れたところで軽く不機嫌な顔をしている次男坊。
さっそく喧嘩でもしたのでしょうか?夜の写真あたりでようやく次男坊も楽しげなおどけた表情を見せてはいましたけど。
翌日も長男坊は全開の笑顔の写真。次男坊は離れたところで弱弱しい笑顔の写真(もともとまぶしいのが苦手なので特に屋外だとそういう顔が多いです。ある意味いつもどおり)。
うーん、大丈夫?
ともあれ二人を解散場所まで迎えに行くと、二人とも大興奮でにこにこと旅の様子を報告してくれました。
「二人とも別行動だったみたいだけど、喧嘩でもした?」
長男坊「いや~?○ちゃん(次男坊)が甘えてくるから『甘えてこないで』って言っただけだよ~」
まあねえ、長男坊は1年生の時に一人で初参加でしたものね(もともとの知り合いもいなかった)。
次男坊「楽しかったよ~。また行きたい!」
ちゃんと楽しめたならよかったです。
翌日は民間学童のお祭りに初参加(昨年まで合宿とかと日程がかぶりまくって不参加だったのです)。朝からその準備をするのがこの日のカリキュラム。
ただ、昼間に長男坊は微熱があったらしくて、職場に電話がかかってきました。
夕方にお迎えに到着すると、お祭りの最初にみんなで歌を歌う出し物があったのに、長男坊は青い顔して参加できませんでした。
でも「じゃあ、帰ろうか?」と訊くと、「お祭りは参加する」と。
ええ、さっきまでの青い顔はどこへ?というくらいに焼きそば、かき氷、ひやしパイン、わたがしと食べまくる長男坊。
大丈夫なん?と私は気が気じゃなかったのですが、20時前までしっかり楽しんでいました。
次男坊はかき氷ばかり3杯は食べていました。
お盆休みは子どもたちと夫は休みでしたが、私は出勤が最初と最後にちょっと入りました。
今度は兄一家と釣りができる店へ。またも釣りまくり。
翌日焼き肉店でも子どもたちは思い思いに食べまくり。
夏休み終盤は長男坊の終わらない宿題に焦りだします。
ワーク類はすぐできるからいいとして、自由研究どうするの?
本人は調べもの系を最初は提案してたんですが、夫が「ただの書き写しになって身につかないから却下」。その代案もいつまでも出してくれないのでこっちはひたすらはらはらしてました。
(私自身はそういう研究テーマとか考えるのが大の苦手。だいたいその年齢にふさわしい内容ってなにさ?で頭が真っ白になるのです)
で、最終的に男二人で話し合って決めたのが棚づくり。机に散らかるプリントを整理したいと長男坊が提案したらしい。
最初に言ってたサイズはどう考えても小学生が1から作るには無理なサイズ。というか完成品を学校に持っていくのも不可能。
次にちょっと小さいサイズで設計。軽いスチロールの板で試作品を作り、ホームセンターに板を買いに行って検討したところ、このサイズでも木の板で作ると重過ぎると予想されたので却下。
そこで売られている板のサイズなどをケータイで写真にとって記録してから帰宅して設計し直し。
夏休み最後の日曜日(始業式は翌々日)にようやく夫の実家の庭先を借りて、机の引き出しサイズの箱を完成させました。
おまけで、余った板の切れ端に余った釘を打って楽しむ次男坊でした。
始業式翌日からは給食が始まるはずだったのですが、豪雨のために休校。
その日は通学路見守りの旗当番だったので仕事は休みにしてもらっていましたから、対応はできました。(そして旗当番はしないままに次の方にパスできました)
今年は台風だ豪雨だの災害が続いています。
これ以上の被害が出ないように祈ります。
GWは、あいかわらずののんびり休み…だったような。
いつものことですが、すでに記憶がすっ飛んでます。
で、とにかく仕事で忙しかった5月(なぜ毎年5月…)。
いまカレンダーを確認してみたらこのあたりから次男坊がスイミングスクールに行きはじめました。
長男坊の時はヘルパー(腕輪タイプの浮き輪)がいらない級からスタートでしたが、次男坊はヘルパー使用の級からスタート。
あらら、子どもたちだけでバスで行かせるつもりだったのに、私が送迎しなくちゃいけなくなりしたよorz。土曜か日曜だ~。駐車場狭いから嫌いなのに~。
(ヘルパーを膨らませたままだとバッグに入らないので、別の袋に入れて持たせる→忘れ物の危険性が高まるということで、私が送迎して管理しないといけませぬ。つぶして持ち運んで更衣室で子どもたちだけで膨らませて、終わったらつぶして、はバスの時間の都合でできませんし)
5月下旬は次男坊にとっては小学校で初の運動会。
おお、珍しく次男坊の気合が入っている。長男坊はいつもどおりに熱い男ですが。
が。当日はとにかく暑い酷暑。そうだよね~。
てことで短縮プログラムで実施されることになりました。
当日(土曜)は各学年かけっこ(6年生だけリレー)と、踊り(6年生はこのご時世にいまだに組体操)などの出し物だけ。
他の競争遊戯(玉入れなど)は後日予備日(翌週水曜日)に学年ごとに体育の授業で実施。
振替すらもなくなったのは保護者も一緒に踊る地元の地名を付けた音頭と、地域の年長さん(来年入学予定)のパレード。
それでもマンモス校ですので、競技時間が長く、途中昼休みを挟んで13時に終了予定。
…昼休みなしで12時終了でよくない?
まあ長時間空腹で過ごさせるのも熱中症の危険が高まるからと言う難しいさじ加減なんでしょうけども。
弁当作りが苦痛な家庭(例:我が家)は「弁当作らなくちゃなの~?」、外注してる家庭は「時間変更しないと~(焦)」となったのではと推測。
ともあれ、当日は長男坊のブロックが1位、次男坊のブロックが3位で終了。
後日の競争遊戯に決着が持ち越されました。
予備日はもちろん平日だし、うちは見学には行きませんでしたが、最終的には次男坊のブロックが逆転勝利を収めたそうです。
6月。私の車が新しくなったことと、仕事が忙しかったこと、それしか記憶がありません。
7月。授業参観。恒例のお母さんたちの懇親昼食会(3年生以上はやらないクラスがほとんどなので次男坊のクラスのみ)。
これがクラスのPTAの学年委員さんが計画してお知らせを作り、担任の先生にお願いして配布と出欠票の回収をしてもらって、というもの。
今年は学校から「教員の働き方改革のため、教員が手伝うのは今回が最後です。本年度の2学期以降、来年度以降も、教員はお手伝いしません」というような内容のお知らせが配布されました。
そらそうだよね。
個人情報保護の関係で、クラスの名簿や連絡網を勝手に作るのも禁止されてますし、今後はこういう企画はできませんよねー。
ということは、来年以降に学年委員を引き受けても懇親会の企画はやらなくていいんだわ、と個人的には喜んでたり。
やりたい人たちだけでLINEとかの連絡先交換して少人数でやればいいんですよ。
夏休み突入。子どもたちはそれでも行く先は学校の学童が大半なので、あまり変わらぬ日常。
次男坊は真面目にものすごい勢いで夏休みの宿題を済ませるのですが、長男坊が後からスパートでも終わると高をくくってるせいか、ゆっくりとしか進みません。長男坊も1年生の時は次男坊みたいに数日で終わらせてたんですけどね~。
ところで、1年生の宿題が3年前より大幅に減量されてました。というか、提出義務のあるものが減ってました。
提出義務があるものがワーク+プリントと、絵日記2日分と、朝顔の観察(と種回収)。
提出義務がなくなったものが、毎日1行日記と、運動記録、読書記録、作品展出品作(読書感想文とか感想画とかその他もろもろどれか好きなもの)。
共働きが増えたことでの保護者の負担軽減もさることながら、たぶんそれをとりまとめる先生の負担軽減も大きいのでしょうね。
夏休み初日に長男坊は風邪気味の中、合気道の昇給審査へ。
微熱がありそうでしたが、うまくこなして合格してました。
さらに7月の終わりにも長男坊が風邪。ちょっと喘息発作みたいな呼吸をしてて苦しそうでした。
ともあれ小児科の処方で治まり。
次男坊は少し調子を崩した程度で、受診する必要もなく元気に。
8月。帰省した姉一家と一緒にお食事。
いつもの釣りができるお店で釣りまくり。もう慣れきってますもので。
翌日の中華料理やさんは個室だったので、子どもたちは任天堂スイッチで遊びまくり。
お誕生日3日違いの姉とこ次男くんとうちの次男坊が気が合いまくって、まるで二卵性の双子みたいな状態になってました。
翌週は学習塾主催の合宿へ。今年は初めて次男坊も参加。二人してうきうきして準備していたのですが…。
初日に台風が合宿の行先に直撃Σ(-△-)。
2泊3日の予定が、出発を1日遅らせての1泊2日に変更になりました。しかも学童も台風のために休会になったので、職場が休みになった夫と過ごしてもらいました。
合宿は楽しみにしていた釣り体験がなくなってしまいましたが、何はともあれうきうきルンルンと出発した子どもたち。
大人はいつものごとく、旅行社のサイトで子どもたちの写真を確認しました。
…長男坊はいつもどおりに楽しそうに写ってますが、近くに次男坊の姿がありません。
集合写真でも長男坊から離れたところで軽く不機嫌な顔をしている次男坊。
さっそく喧嘩でもしたのでしょうか?夜の写真あたりでようやく次男坊も楽しげなおどけた表情を見せてはいましたけど。
翌日も長男坊は全開の笑顔の写真。次男坊は離れたところで弱弱しい笑顔の写真(もともとまぶしいのが苦手なので特に屋外だとそういう顔が多いです。ある意味いつもどおり)。
うーん、大丈夫?
ともあれ二人を解散場所まで迎えに行くと、二人とも大興奮でにこにこと旅の様子を報告してくれました。
「二人とも別行動だったみたいだけど、喧嘩でもした?」
長男坊「いや~?○ちゃん(次男坊)が甘えてくるから『甘えてこないで』って言っただけだよ~」
まあねえ、長男坊は1年生の時に一人で初参加でしたものね(もともとの知り合いもいなかった)。
次男坊「楽しかったよ~。また行きたい!」
ちゃんと楽しめたならよかったです。
翌日は民間学童のお祭りに初参加(昨年まで合宿とかと日程がかぶりまくって不参加だったのです)。朝からその準備をするのがこの日のカリキュラム。
ただ、昼間に長男坊は微熱があったらしくて、職場に電話がかかってきました。
夕方にお迎えに到着すると、お祭りの最初にみんなで歌を歌う出し物があったのに、長男坊は青い顔して参加できませんでした。
でも「じゃあ、帰ろうか?」と訊くと、「お祭りは参加する」と。
ええ、さっきまでの青い顔はどこへ?というくらいに焼きそば、かき氷、ひやしパイン、わたがしと食べまくる長男坊。
大丈夫なん?と私は気が気じゃなかったのですが、20時前までしっかり楽しんでいました。
次男坊はかき氷ばかり3杯は食べていました。
お盆休みは子どもたちと夫は休みでしたが、私は出勤が最初と最後にちょっと入りました。
今度は兄一家と釣りができる店へ。またも釣りまくり。
翌日焼き肉店でも子どもたちは思い思いに食べまくり。
夏休み終盤は長男坊の終わらない宿題に焦りだします。
ワーク類はすぐできるからいいとして、自由研究どうするの?
本人は調べもの系を最初は提案してたんですが、夫が「ただの書き写しになって身につかないから却下」。その代案もいつまでも出してくれないのでこっちはひたすらはらはらしてました。
(私自身はそういう研究テーマとか考えるのが大の苦手。だいたいその年齢にふさわしい内容ってなにさ?で頭が真っ白になるのです)
で、最終的に男二人で話し合って決めたのが棚づくり。机に散らかるプリントを整理したいと長男坊が提案したらしい。
最初に言ってたサイズはどう考えても小学生が1から作るには無理なサイズ。というか完成品を学校に持っていくのも不可能。
次にちょっと小さいサイズで設計。軽いスチロールの板で試作品を作り、ホームセンターに板を買いに行って検討したところ、このサイズでも木の板で作ると重過ぎると予想されたので却下。
そこで売られている板のサイズなどをケータイで写真にとって記録してから帰宅して設計し直し。
夏休み最後の日曜日(始業式は翌々日)にようやく夫の実家の庭先を借りて、机の引き出しサイズの箱を完成させました。
おまけで、余った板の切れ端に余った釘を打って楽しむ次男坊でした。
始業式翌日からは給食が始まるはずだったのですが、豪雨のために休校。
その日は通学路見守りの旗当番だったので仕事は休みにしてもらっていましたから、対応はできました。(そして旗当番はしないままに次の方にパスできました)
今年は台風だ豪雨だの災害が続いています。
これ以上の被害が出ないように祈ります。
またも時間が飛びました。2月~4月の内容です。
2月は次男坊の小学校の入学説明会。今回は自分で行けました(長男坊の時は夫におまかせ)。
目新しい話はなかったんですが、長男坊の時には国語の重点校という話があったところ、今回はその話はなし。重点指定からはずれたということでしょうか?(3年経ちますしね)
で、男性の出席も目立っていたせいか、質疑応答の時に男性が積極的に質問していました。
「新1年生は帰りが早いと聞きますが、いつごろまで早いのでしょう?共働きなので事前に教えていただけると助かります」
「土曜授業とおっしゃいましたが、そのスケジュールはどうなってるのでしょう?」
などなど、事前に知っておきたいとみんなが思ってるのに、例年入学するまで教えてもらえない情報を引き出していました。ついでに運動会の予定日とかも。
積極的なお父さんたちが多いなあ。
で、2月の最後の土曜はまたも保育園最後のお別れ遠足(長男坊はパパとお留守番)。
やっぱこの時期の天満宮は人が多すぎ(@o@)。6歳になった次男坊は、遊園地のほとんどの乗り物に大人の同伴なしで乗れるようになりました(ミニバイキングのみ7歳まで要同伴)。
ひたすらひたすらジェットコースターに乗りまくる次男坊。何回連続で乗れば気が済むの~!!
水上コースターは1回で水浸しになったので、今回はそれだけ。
今回初めて挑戦したのが、カンガルーの形で、びよーんびよーんと上下運動する乗り物。そしてメリーゴーラウンド。
メリーゴーラウンドは小さいころに乗せたところ、背の高い馬が上下に動く(のにベルトとかでの固定はがっしりしてない)のが怖かったらしく、以降乗ろうとしなかったんですが、今回久しぶりに乗りました。乗ってみたら楽しかったようです。
帰りは天満宮裏の茶屋まで遠く足を延ばして梅が枝餅をお土産に。
そして3月はいよいよ卒園式です。
風邪が流行っていたのでちょっと心配しましたが、ちゃんと出席できました。
しかし保育士さん不足で定員を減らしているあおりで年中さんが少なかったです!年長さんの7割くらい?
父母の会の会長さんとか保護者代表とかのあいさつでめっちゃ泣かれるので、こちらもうるうる。
そしていったん帰宅した後は、お昼に集合して茶話会。
今回は卒園記念品代として1年間積み立てていたお金を、保育園備品よりもこの茶話会に、ということで、卒園児と大人一人までは会費不要(家族で参加の場合は子ども一人いくら大人一人いくらと追加)。いつもは年長担任二人だけを呼ぶところ、主任の先生と園長先生もご招待。さらに最後に担任の先生に大きなケーキのプレゼント。
すごい豪勢!
しかも事前に子どもたちの赤ちゃんの時と最近の写真のデータを集められて、スライドショー。DVDに入れてこれも担任にプレゼント。
気合入りすぎですがな!
あとサイン帳も。うちは担任の先生二人とも、長男坊とも関わりがあった先生方なので、子どもたち二人が写った写真を貼っておきました。
ちなみに次男坊は平常運転で、もりもりもりもり食べ続け、他のお母さんたちに「おとなしいですね」とうらやましがられました。食べてる間だけです。
まあ、長男坊の時みたいにお店から逃亡はしなかったので、よし。
夜は子どもは皆さん旦那(など)に預けてママたちだけの二次会。担任の先生たちもご招待。
さすがに年長さん40人あまりに対して出席した親は15人弱でしたけど。ご近所での開催だったこともあり、私も参加しました。
いやー、めっちゃ楽しかったです。
父母の会会長さんが同じ保育園を卒園していたということで、当時のお誕生日カードとか写真とかを持参されてて、びっくり仰天!建物が小さい!元園長(3年前まで君臨していた女帝)が若い!!
保育園には3月の最後の平日まで。
最後の最後に保育園隣の駐車場が1日使えないノーカーデーだったのがなんでしたが。
なにはともあれ、長男坊0歳の時から9年間お世話になりました!
春休みの長男坊。今回は九州内の某市全体でキッザニアをやる合宿に参加しました。二泊三日。
本人の希望通りに食べ物系(めんべいのオリジナルトッピング、チョコレートの試食)と、金属加工職人(ハンドスピナー製作)。あとはホテルのお仕事に動物園のお仕事。
そうとう楽しんで、山ほどお土産を買ってきました。お菓子ばっかり…。
4月の最初から次男坊は長男坊と一緒に学童保育へ。
新1年生は入学式までは大人の送迎が必須という規定だったのが、数年前から上級生のきょうだいが同じ学童に通っていれば、そのきょうだいによる送迎で可に変更。
てことで私が送迎したのは初日だけで、あとは長男坊にお任せしました。
二人仲良く楽しそうに通い、連絡帳には「お兄ちゃんのほうが浮かれてます?」と指導員さんに書かれる始末。
まあ次男坊もお兄ちゃんべったりとはいっても保育園でいろいろ厳しくしつけられてはいますし、長男坊もそこそこ次男坊を放っておく所があるのですが、それでも彼なりにそうとう緊張していたようで、週の後半にはへとへとに疲れ果てていました。
うらはらに保育園の送迎がなくなった私は超楽ちん♪
やっぱ朝と夕方に30分弱、時間をロスしてたってことですよね。
二人分の弁当作りが続くのは面倒でしたが、それでもかなり違いました。
で、翌週の後半にいよいよ次男坊(前日に誕生日がきてすでに7歳)、入学しました。
入学式当日は2年生から5年生はお休みだったのですが、長男坊に校門のところまでついてきてもらって、写真を撮ってもらいました(そして長男坊はそのまま帰宅してお留守番/笑)。
次男坊は多少きょろきょろする時もありましたが、式の間はおおむねおとなしくしゃんと座っていました。
新1年生はやはり200人超え。全校児童数が1200人を軽く超えております。
というかそれぞれ200人弱の5,6年生と比べて、235人もいる長男坊たち4年生…。3年生の間にも同じクラスのお子さんが転校していった話を聞いたのですが、それ以上に転入してきているようです。
まだまだ校区内に新しいマンションが建っていますし、どこまで増えるんでしょうか?
帰宅後は長男坊と次男坊と私で、近所のロイホでお昼ご飯。
めちゃくちゃ混んでいたので、お店到着から食事開始まで1時間かかりました(^^;)。
入学式は木曜日。翌日の金曜と、翌週の月曜、火曜までは1年生は給食はなしで、お昼に集団下校。
うちは学童に入れているので、お弁当を持たせて、夕方に学童での集団下校。と言っても長男坊が常についているので、安心です。
水曜日から給食開始の予定だったので、ここで私は学会出張へ。
例年木曜から土曜開催の学術集会が、今年は月曜から水曜だったのです。なぜよりによって今年…orz。
火曜日の夕方、子どもたちが学童から帰宅して、夕飯を食べられる態勢にして夫と交代してから家を出て駅へ。次男坊には給食袋を忘れぬように、と言い含め。
夜の新幹線で移動しながら自分の夕飯は駅弁。
夜9時半に到着して、ホテルについたら大浴場でのんびりしました。
水曜日の朝から学会出席。
お昼まででランチョンセミナーにも出られずにまた駅へ。
お昼ご飯を駅で食べて、お土産を仕入れて、新幹線に。
今年もなんという弾丸よ…。
そのあとの土曜には、長男坊の工作の材料を買いに100均に行ったところ、そこにあった野菜の種に長男坊が反応しまして。
トマトとオクラの種を買わされ、「すぐ植えたい!」というので園芸用品店に行って土や底石、新しいプランターまで買わされ。
日曜日にベランダに元からあった鉢(保育園や小学校でアサガオなどを育てたあと)なんかも併せて、今年も園芸にいそしむ羽目になりました。
ミニトマトとオクラと昨年学校でもらってきた百日草。
花はともかくあとは食べ物。まあうちの食欲魔人さんのチョイスですから。
10連休に入るところで無事に発芽しました。
2月は次男坊の小学校の入学説明会。今回は自分で行けました(長男坊の時は夫におまかせ)。
目新しい話はなかったんですが、長男坊の時には国語の重点校という話があったところ、今回はその話はなし。重点指定からはずれたということでしょうか?(3年経ちますしね)
で、男性の出席も目立っていたせいか、質疑応答の時に男性が積極的に質問していました。
「新1年生は帰りが早いと聞きますが、いつごろまで早いのでしょう?共働きなので事前に教えていただけると助かります」
「土曜授業とおっしゃいましたが、そのスケジュールはどうなってるのでしょう?」
などなど、事前に知っておきたいとみんなが思ってるのに、例年入学するまで教えてもらえない情報を引き出していました。ついでに運動会の予定日とかも。
積極的なお父さんたちが多いなあ。
で、2月の最後の土曜はまたも保育園最後のお別れ遠足(長男坊はパパとお留守番)。
やっぱこの時期の天満宮は人が多すぎ(@o@)。6歳になった次男坊は、遊園地のほとんどの乗り物に大人の同伴なしで乗れるようになりました(ミニバイキングのみ7歳まで要同伴)。
ひたすらひたすらジェットコースターに乗りまくる次男坊。何回連続で乗れば気が済むの~!!
水上コースターは1回で水浸しになったので、今回はそれだけ。
今回初めて挑戦したのが、カンガルーの形で、びよーんびよーんと上下運動する乗り物。そしてメリーゴーラウンド。
メリーゴーラウンドは小さいころに乗せたところ、背の高い馬が上下に動く(のにベルトとかでの固定はがっしりしてない)のが怖かったらしく、以降乗ろうとしなかったんですが、今回久しぶりに乗りました。乗ってみたら楽しかったようです。
帰りは天満宮裏の茶屋まで遠く足を延ばして梅が枝餅をお土産に。
そして3月はいよいよ卒園式です。
風邪が流行っていたのでちょっと心配しましたが、ちゃんと出席できました。
しかし保育士さん不足で定員を減らしているあおりで年中さんが少なかったです!年長さんの7割くらい?
父母の会の会長さんとか保護者代表とかのあいさつでめっちゃ泣かれるので、こちらもうるうる。
そしていったん帰宅した後は、お昼に集合して茶話会。
今回は卒園記念品代として1年間積み立てていたお金を、保育園備品よりもこの茶話会に、ということで、卒園児と大人一人までは会費不要(家族で参加の場合は子ども一人いくら大人一人いくらと追加)。いつもは年長担任二人だけを呼ぶところ、主任の先生と園長先生もご招待。さらに最後に担任の先生に大きなケーキのプレゼント。
すごい豪勢!
しかも事前に子どもたちの赤ちゃんの時と最近の写真のデータを集められて、スライドショー。DVDに入れてこれも担任にプレゼント。
気合入りすぎですがな!
あとサイン帳も。うちは担任の先生二人とも、長男坊とも関わりがあった先生方なので、子どもたち二人が写った写真を貼っておきました。
ちなみに次男坊は平常運転で、もりもりもりもり食べ続け、他のお母さんたちに「おとなしいですね」とうらやましがられました。食べてる間だけです。
まあ、長男坊の時みたいにお店から逃亡はしなかったので、よし。
夜は子どもは皆さん旦那(など)に預けてママたちだけの二次会。担任の先生たちもご招待。
さすがに年長さん40人あまりに対して出席した親は15人弱でしたけど。ご近所での開催だったこともあり、私も参加しました。
いやー、めっちゃ楽しかったです。
父母の会会長さんが同じ保育園を卒園していたということで、当時のお誕生日カードとか写真とかを持参されてて、びっくり仰天!建物が小さい!元園長(3年前まで君臨していた女帝)が若い!!
保育園には3月の最後の平日まで。
最後の最後に保育園隣の駐車場が1日使えないノーカーデーだったのがなんでしたが。
なにはともあれ、長男坊0歳の時から9年間お世話になりました!
春休みの長男坊。今回は九州内の某市全体でキッザニアをやる合宿に参加しました。二泊三日。
本人の希望通りに食べ物系(めんべいのオリジナルトッピング、チョコレートの試食)と、金属加工職人(ハンドスピナー製作)。あとはホテルのお仕事に動物園のお仕事。
そうとう楽しんで、山ほどお土産を買ってきました。お菓子ばっかり…。
4月の最初から次男坊は長男坊と一緒に学童保育へ。
新1年生は入学式までは大人の送迎が必須という規定だったのが、数年前から上級生のきょうだいが同じ学童に通っていれば、そのきょうだいによる送迎で可に変更。
てことで私が送迎したのは初日だけで、あとは長男坊にお任せしました。
二人仲良く楽しそうに通い、連絡帳には「お兄ちゃんのほうが浮かれてます?」と指導員さんに書かれる始末。
まあ次男坊もお兄ちゃんべったりとはいっても保育園でいろいろ厳しくしつけられてはいますし、長男坊もそこそこ次男坊を放っておく所があるのですが、それでも彼なりにそうとう緊張していたようで、週の後半にはへとへとに疲れ果てていました。
うらはらに保育園の送迎がなくなった私は超楽ちん♪
やっぱ朝と夕方に30分弱、時間をロスしてたってことですよね。
二人分の弁当作りが続くのは面倒でしたが、それでもかなり違いました。
で、翌週の後半にいよいよ次男坊(前日に誕生日がきてすでに7歳)、入学しました。
入学式当日は2年生から5年生はお休みだったのですが、長男坊に校門のところまでついてきてもらって、写真を撮ってもらいました(そして長男坊はそのまま帰宅してお留守番/笑)。
次男坊は多少きょろきょろする時もありましたが、式の間はおおむねおとなしくしゃんと座っていました。
新1年生はやはり200人超え。全校児童数が1200人を軽く超えております。
というかそれぞれ200人弱の5,6年生と比べて、235人もいる長男坊たち4年生…。3年生の間にも同じクラスのお子さんが転校していった話を聞いたのですが、それ以上に転入してきているようです。
まだまだ校区内に新しいマンションが建っていますし、どこまで増えるんでしょうか?
帰宅後は長男坊と次男坊と私で、近所のロイホでお昼ご飯。
めちゃくちゃ混んでいたので、お店到着から食事開始まで1時間かかりました(^^;)。
入学式は木曜日。翌日の金曜と、翌週の月曜、火曜までは1年生は給食はなしで、お昼に集団下校。
うちは学童に入れているので、お弁当を持たせて、夕方に学童での集団下校。と言っても長男坊が常についているので、安心です。
水曜日から給食開始の予定だったので、ここで私は学会出張へ。
例年木曜から土曜開催の学術集会が、今年は月曜から水曜だったのです。なぜよりによって今年…orz。
火曜日の夕方、子どもたちが学童から帰宅して、夕飯を食べられる態勢にして夫と交代してから家を出て駅へ。次男坊には給食袋を忘れぬように、と言い含め。
夜の新幹線で移動しながら自分の夕飯は駅弁。
夜9時半に到着して、ホテルについたら大浴場でのんびりしました。
水曜日の朝から学会出席。
お昼まででランチョンセミナーにも出られずにまた駅へ。
お昼ご飯を駅で食べて、お土産を仕入れて、新幹線に。
今年もなんという弾丸よ…。
そのあとの土曜には、長男坊の工作の材料を買いに100均に行ったところ、そこにあった野菜の種に長男坊が反応しまして。
トマトとオクラの種を買わされ、「すぐ植えたい!」というので園芸用品店に行って土や底石、新しいプランターまで買わされ。
日曜日にベランダに元からあった鉢(保育園や小学校でアサガオなどを育てたあと)なんかも併せて、今年も園芸にいそしむ羽目になりました。
ミニトマトとオクラと昨年学校でもらってきた百日草。
花はともかくあとは食べ物。まあうちの食欲魔人さんのチョイスですから。
10連休に入るところで無事に発芽しました。
2019年です。5月より新元号となる今年、我が家的には4月に次男坊が小学生になります。
というわけで2018年度当初より「保育園最後の」シリーズが続いております。
とはいえ、前回の日記の続きの時系列では小学校のバザーが先(笑)。
今回は長男坊がお買いものする様子を私がうかがおうとしたら完全に鬱陶しがられてしまいました(^^;)。
来年も長男坊が次男坊のお世話をするので私はついていかなくていいのだそうです。大丈夫かいな。
で、翌週は保育園のバザーなのです。
いつものようにおもちゃを買い込み、食べ物を食べまくる子どもたち。次男坊は今から小学校のバザーも楽しみにしています。
私はゲームコーナーのお手伝いを割り当てられたので、最後のご奉公。
11月は保育園のみかん狩り遠足。
みかん好きな次男坊がとにかく楽しみにしている行事です。
「来年からは家族でみかん狩り行きたい」と言われましても…。行けるんかなあ…。
いつものごとく、みかんをひたすら食べ続ける次男坊でした。
みかん園にいる間だけで15個近く食べたかも…。
そのぶんお弁当は半分残していました。さすがにね。
12月はおゆうぎ会。年長さんは毎年毎年まったく同じ内容の聖劇。
次男坊は長男坊と同じ東方三博士の役です。
これだけはインフルエンザなどでない限りは絶対出席するぞ!と本人に言い聞かせておりました(おゆうぎ会は過去2回休み、最後の運動会まで休んでしまったので)。
2つのシーンで3人ずつ、合わせて6人で三博士を演じるので、誰かが休んでも他のお子さんが連続して出ることでフォローが効くとはいえ、やっぱこれまで休むのは…。
次男坊に聞いたところ、この季節なので感染症で欠席者が出るのは当然のようにありますから(昨年は二人で入れ替わるマリア様が、一人で出ずっぱり状態に)、全員が全部のセリフをなるべく覚えておいて、当日急な欠席者に対応できるようにされていたとのこと。
「急に博士じゃない別の役をするかもしれないんだよ」
まあ、さすがに次男坊がマリア様にあたることはないでしょうけど。
「え~、ぼく、マリア様もやりたかったなあ」
マリア様の衣装はピンクのドレスだもんねえ…。女装趣味はないけどピンクが好きな次男坊です。
結局当日は6人でやるはずの三博士が4人だったくらい、かな。
次男坊は博士役を一生懸命にこなしていました。
ちなみにうちの子どもたちが博士役をやりたいのは、金ぴかの貢物を持って歩く役だから。
そのあとは子どもたちが指折り数えるクリスマスとお正月だ~♪
次男坊は保育園の12月のお誕生会のごちそうメニューに大喜び。
長男坊も小学校の2学期最後の給食のクリスマスメニューに大喜び。
週末に入ってうち実家の両親と魚釣りができるお店で食事をして、いつものように長男坊が大漁でもりもり食べまくり。
そこまではみんな元気いっぱいだったのです。
23日。なんだか次男坊が不機嫌です。その日は外出しなかったから、ストレスたまってるのかな~と思っていました。長男坊と喧嘩ばかりしています。
夕飯も残して「きつい」と言い出しましたので、「これは?」と熱を測ると38度を超えてましたorz。ここまでずっと調子よくきていたのに。
翌朝(振休)になってもまだ次男坊の熱は高くぐったり…。
ああ、これはインフルエンザだろうね…と思わず遠い目になってしまいました。
休日の急患センターはなるべくなら近寄りたくない場所なんですが、インフルエンザなので行くしかありません(胃腸炎とかだったら水分さえとれてれば熱があっても受診しない)。
前夜からの発熱なので、午前中に受診したらまだ迅速検査が陰性かもしれない、とより混んでいるのは承知の上で午後受診。
待ち時間が長いのは明らかなので、私だけが先に受付に行きました。が。
「本人の状態を見て確認したいから本人を急いで連れてきてください!」
えええΣ( ̄△ ̄;;)。
あんなに具合が悪い人を、ここで何時間も待たせろと?(その時点で50人以上待ち)(とはいえ順番繰り上げてもらうほど緊急に悪くはないし)
仕方ないのでいったん家に帰ってから、夫に運転してもらって再度次男坊を連れて急患センターへ(夫はそのまま帰宅)。
そのあと順番が回ってくるまで2時間…。
受付前のソファで寝かせてはいたのですが、順番がきて診察室に入ったとたん「もう帰りたいよ~」と泣き出してしまいました(--;)。
そらそうだよねえ。
で、インフルエンザA型陽性。タミフルを1日分だけ出してもらって帰宅しました。
ゾフルーザやイナビルこそ急患センターで出してもらいたい薬なんですけどねえ…。(ただ、ゾフルーザは発売されたばかりにも関わらず、タミフルより耐性ウイルスが多いとのこと)
(タミフルの残り4日分は翌日にかかりつけの小児科で処方)
せっかくのイブも次男坊がそんな状態なので、子どもたちが楽しみにしていたクリスマスのごちそうはどうするかねえ、と思ったのですが、当の次男坊が、
「僕は食べられなくても今日はパーティーなんだよ」
と言い張ったため、長男坊のために調理済みのローストチキンを買い、予約していたクリスマスケーキも食べました。(次男坊はおかゆだけ)
翌朝はサンタさんからプレゼント(switch版スマブラとマリパ)ももらって、クリスマスの恒例行事はこなしました。
そして日曜日の発熱のインフルエンザ。
出席停止期間の計算からすると、どんなに早く解熱しても金曜日までは保育園を休ませないといけない、となりまして。
もともと28日から子どもたちは家にいさせる予定だったのもあり、そのまま年末年始休みに突入してしまったのでした(途中で1日だけ病児保育を使い、あとは夫にお願い)。
私の仕事納めのころには次男坊もすっかり元気。
今回は家族の誰にもうつらずに過ごせたので、大人が疲労しているだけでまずまずのコンディションの年末年始休みとなりました。
大みそかにようやく子どもたちを外遊びに出してやれそうになったので、自宅から30分以上歩く海岸へ。
寒いのにおやつにソフトクリームを食べ、波打ち際で時々膝まで波をかぶりながら波から逃げる遊びをする子どもたち…(遠い目)。
それでも風邪をひかなくなったのはさすがというかなんというか。
元旦の実家めぐりでは子どもたちはひたすらもりもり食べ。
翌日も焼肉をもりもり食べ。
食べまくりのお正月でした。
で、7日から日常生活に戻りました(例年仕事始めは5日なので、暦の都合で7日に)。
というわけで2018年度当初より「保育園最後の」シリーズが続いております。
とはいえ、前回の日記の続きの時系列では小学校のバザーが先(笑)。
今回は長男坊がお買いものする様子を私がうかがおうとしたら完全に鬱陶しがられてしまいました(^^;)。
来年も長男坊が次男坊のお世話をするので私はついていかなくていいのだそうです。大丈夫かいな。
で、翌週は保育園のバザーなのです。
いつものようにおもちゃを買い込み、食べ物を食べまくる子どもたち。次男坊は今から小学校のバザーも楽しみにしています。
私はゲームコーナーのお手伝いを割り当てられたので、最後のご奉公。
11月は保育園のみかん狩り遠足。
みかん好きな次男坊がとにかく楽しみにしている行事です。
「来年からは家族でみかん狩り行きたい」と言われましても…。行けるんかなあ…。
いつものごとく、みかんをひたすら食べ続ける次男坊でした。
みかん園にいる間だけで15個近く食べたかも…。
そのぶんお弁当は半分残していました。さすがにね。
12月はおゆうぎ会。年長さんは毎年毎年まったく同じ内容の聖劇。
次男坊は長男坊と同じ東方三博士の役です。
これだけはインフルエンザなどでない限りは絶対出席するぞ!と本人に言い聞かせておりました(おゆうぎ会は過去2回休み、最後の運動会まで休んでしまったので)。
2つのシーンで3人ずつ、合わせて6人で三博士を演じるので、誰かが休んでも他のお子さんが連続して出ることでフォローが効くとはいえ、やっぱこれまで休むのは…。
次男坊に聞いたところ、この季節なので感染症で欠席者が出るのは当然のようにありますから(昨年は二人で入れ替わるマリア様が、一人で出ずっぱり状態に)、全員が全部のセリフをなるべく覚えておいて、当日急な欠席者に対応できるようにされていたとのこと。
「急に博士じゃない別の役をするかもしれないんだよ」
まあ、さすがに次男坊がマリア様にあたることはないでしょうけど。
「え~、ぼく、マリア様もやりたかったなあ」
マリア様の衣装はピンクのドレスだもんねえ…。女装趣味はないけどピンクが好きな次男坊です。
結局当日は6人でやるはずの三博士が4人だったくらい、かな。
次男坊は博士役を一生懸命にこなしていました。
ちなみにうちの子どもたちが博士役をやりたいのは、金ぴかの貢物を持って歩く役だから。
そのあとは子どもたちが指折り数えるクリスマスとお正月だ~♪
次男坊は保育園の12月のお誕生会のごちそうメニューに大喜び。
長男坊も小学校の2学期最後の給食のクリスマスメニューに大喜び。
週末に入ってうち実家の両親と魚釣りができるお店で食事をして、いつものように長男坊が大漁でもりもり食べまくり。
そこまではみんな元気いっぱいだったのです。
23日。なんだか次男坊が不機嫌です。その日は外出しなかったから、ストレスたまってるのかな~と思っていました。長男坊と喧嘩ばかりしています。
夕飯も残して「きつい」と言い出しましたので、「これは?」と熱を測ると38度を超えてましたorz。ここまでずっと調子よくきていたのに。
翌朝(振休)になってもまだ次男坊の熱は高くぐったり…。
ああ、これはインフルエンザだろうね…と思わず遠い目になってしまいました。
休日の急患センターはなるべくなら近寄りたくない場所なんですが、インフルエンザなので行くしかありません(胃腸炎とかだったら水分さえとれてれば熱があっても受診しない)。
前夜からの発熱なので、午前中に受診したらまだ迅速検査が陰性かもしれない、とより混んでいるのは承知の上で午後受診。
待ち時間が長いのは明らかなので、私だけが先に受付に行きました。が。
「本人の状態を見て確認したいから本人を急いで連れてきてください!」
えええΣ( ̄△ ̄;;)。
あんなに具合が悪い人を、ここで何時間も待たせろと?(その時点で50人以上待ち)(とはいえ順番繰り上げてもらうほど緊急に悪くはないし)
仕方ないのでいったん家に帰ってから、夫に運転してもらって再度次男坊を連れて急患センターへ(夫はそのまま帰宅)。
そのあと順番が回ってくるまで2時間…。
受付前のソファで寝かせてはいたのですが、順番がきて診察室に入ったとたん「もう帰りたいよ~」と泣き出してしまいました(--;)。
そらそうだよねえ。
で、インフルエンザA型陽性。タミフルを1日分だけ出してもらって帰宅しました。
ゾフルーザやイナビルこそ急患センターで出してもらいたい薬なんですけどねえ…。(ただ、ゾフルーザは発売されたばかりにも関わらず、タミフルより耐性ウイルスが多いとのこと)
(タミフルの残り4日分は翌日にかかりつけの小児科で処方)
せっかくのイブも次男坊がそんな状態なので、子どもたちが楽しみにしていたクリスマスのごちそうはどうするかねえ、と思ったのですが、当の次男坊が、
「僕は食べられなくても今日はパーティーなんだよ」
と言い張ったため、長男坊のために調理済みのローストチキンを買い、予約していたクリスマスケーキも食べました。(次男坊はおかゆだけ)
翌朝はサンタさんからプレゼント(switch版スマブラとマリパ)ももらって、クリスマスの恒例行事はこなしました。
そして日曜日の発熱のインフルエンザ。
出席停止期間の計算からすると、どんなに早く解熱しても金曜日までは保育園を休ませないといけない、となりまして。
もともと28日から子どもたちは家にいさせる予定だったのもあり、そのまま年末年始休みに突入してしまったのでした(途中で1日だけ病児保育を使い、あとは夫にお願い)。
私の仕事納めのころには次男坊もすっかり元気。
今回は家族の誰にもうつらずに過ごせたので、大人が疲労しているだけでまずまずのコンディションの年末年始休みとなりました。
大みそかにようやく子どもたちを外遊びに出してやれそうになったので、自宅から30分以上歩く海岸へ。
寒いのにおやつにソフトクリームを食べ、波打ち際で時々膝まで波をかぶりながら波から逃げる遊びをする子どもたち…(遠い目)。
それでも風邪をひかなくなったのはさすがというかなんというか。
元旦の実家めぐりでは子どもたちはひたすらもりもり食べ。
翌日も焼肉をもりもり食べ。
食べまくりのお正月でした。
で、7日から日常生活に戻りました(例年仕事始めは5日なので、暦の都合で7日に)。